それは、社会の構造物を支える事業である。
それは、みんなの安心・安全な生活を守ることである。
それは、なくてはならない仕事である。
ー 専門工事という選択 ー
私たちが専業とするのは、
建設工事の中でも重要性の高い「基礎工事」
建築や土木工事に於ける、
構造物を地中から支えるプロフェショナルです。
コンクリートの杭を地中に造成する
マンションやビル、鉄道や高速道路などの橋梁・橋脚など大型構造物の基礎杭を施工する。その場所で杭となる穴を掘削し、かご状に編み込んだ鉄筋を穴に建込み、コンクリートを流し込むことで杭を造成する。場所打ち杭工事。
[施工方法] 全旋回オールケージング工法・アースドリル工法など
地中に残る障害物を撤去する
古くなったマンションや商業施設(ビル・百貨店など)の建て替えの際、地上の構造物を解体撤去した後に、地中に残っている構造物(底盤や基礎杭)を撤去する。
[施工方法] 全旋回オールケージング工法など
杭で地盤を強化し、
建物の安全性を確保することが必要。
ー 社員、機材、工法という
最強のトライアングル ー
大型の構造物の土台をつくる基礎工事において、計画から積算、施工、管理に至るまでを一貫して手がけられる技術力。さらに請け負う工事の全てを自社の社員で完結する機動力。同様の体制を取る企業は、日本に数えるほどしかありません。
ー 基礎工事業界の“安心度”NO.1を目指す ー
さらなる実績を積み重ね、私たちが目指すのは、基礎工事業界のNO.1です。その上でもっとも重要な要素となるのが、社員一人ひとりの力。そのために、会社として上記のことに取り組み、社員が輝き続ける会社を作っていきます。
植田基工の歴史は、決して順風満帆というわけではなかった。
地道な努力や苦悩を積み重ねてきたらからこそ、今の植田基工の姿がある。
1976-1986
最初は創業者と3名の仲間で事業をスタート。機械は何ひとつ無く、労務だけで仕事をしていた。当時はべノト工法が主流だった。アースドリル工法を採用し始め、少しずつ会社としての組織を構築し、1986年に法人登記をした。
1988-1990初頭
空前の建設ラッシュによって、工事依頼が殺到。それまでの土木専門から建築の基礎工事へと領域を拡大した。あまりにも多忙すぎる会社の様子をみかねた母から、家業を手伝ってほしいと相談を受けた現社長・植田正樹は、1988年に入社を決意。平成景気と呼ばれる好景気真っ只中だった。しかし、その景気は長くは続かずバブルは崩壊。日本経済は長い低迷期間に突入する。
1995
一瞬にして崩壊した神戸の街。職人たちは、車中泊をして復興に向けた工事を続けた。先代社長は、工事を少しでも早く進めるために大型投資を決断。数億円の借金をして機材を揃え、新たな工法にも挑戦した。このときの決断は、現在の植田基工を創るひとつのターニングポイントとなる。
1990-2010
経済状況は、一時的に好景気の時期もあったが、長い間低迷が続いている状態であった。そんな中、新規のアースドリル拡底工法や、倍拡底工法の評定や、全周回転オールケーシング工法の大口径機種の充実など果敢に工法への取り組みや、ツールスの開発に力を注いでいた。
2010
2010年に先代社長が亡くなり、現社長が代表取締役に就任。リーマンショックの影響をひきずる中ではあったが、社長交代時に辞める社員は一人もいなかった。その事実は現社長の心の支えとなり、このときから“社員は会社の宝である”ことを深く胸に刻んでいる。
2011-現在
2011.3.11に突如発生した東日本大震災。東北に拠点を置く会社からの依頼で復興需要が増加。その後、アベノミクスによる経済の上向きや東京オリンピックの決定に伴う建設市場の拡大で、更に依頼が止まらない状況が続く。大阪では中心エリアの大規模再開発や万博開催に向けた建設ラッシュが始まり、今後もさらなる需要を見込んでいる。
私たちが手掛ける杭。
それは、社会になくてはならない“支え”です。
植田基工の杭が支えているのは、ビルやマンション、鉄道や高速道路の高架橋などの大型構造物。深く固い地盤から伸びた杭が基礎を安定させることで、構造物の重みを安全に支え、地震や地盤のゆるみによる構造物の沈下と傾斜を防いでいます。支えているのは、構造物だけではありません。そこにある安全も人々の生活も、地中の杭によって守られているのです。 目には見えないけれど、もっとも重要な部分。植田基工が手がけるのは、この社会になくてはならない“支え”です。